農園日記

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久々の日記になります。6月末には田植えも終わり、梨のほうもやっと袋掛けを終わることができました。
収穫までは最終的な仕上げ摘果、傷がついたものや極端に小さいもの、鳥や虫に食べられたものを外していきます。
また「座布団敷き」と私たちは言いますが、果実と果実、果実と木が風などで動き擦れて傷がつかないようにガムテープでしていきます。
それに例年どうり、カラスがやってきたので爆音機・鳥の嫌な鳴き声のする機械と鷹を模した凧を設置して防御しました。

いよいよ、あと1週間程度で収穫を迎えます。


袋をかけた終わった新高梨


収穫まで1週間の幸水梨


カラスに食べられた梨、最終摘果で落としていきます。


今年の米づくりスタート。
2日かけて苗代づくりです。初日は籾まき。
林農園ではポット式。苗を大きくして、定着を確実にし、ジャンボタニシの食害を少なくする効果があります。


①苗代の土台

②水を入れ同じ高さになるように、何回も均していきます。

③寒冷紗を敷き、苗箱設置。

④発芽の保護用シートを被せ、カラス防止の釣り糸を張って完成です。
現在、林農園は梨の花も咲き始め摘蕾・摘花作業をしております。遅霜に対応するためにスプリンクラー、扇風機20台を準備しました。霜害は梨の実自体が実らなくなるので、対策しないと大変なことになります。動画は霜対策のスプリンクラーでの花への水掛けによる温度低下を防ぐための試運転。扇風機も空気をかき混ぜ、氷点下にならないようにします。

私達のところでも新型コロナの影響も大きいですので今は耐える時期かと思っております。畑は安全ですが、それぞれが手洗いうがい、マスク着用・消毒を心がけて生活していかなければ!と私たちも取り組んでいます。とにかく早く収束してくれることを願いながら、梨畑での作業をそれぞれ励んでおります。 どうか皆様も、外出時は十分お気をつけになり、ご自愛ください。


昨日は我が家のお米を食べていただいている、保育園の年長さんたち30人が稲刈り&梨狩りに来てくれました。
「林さんの梨が一番だーい好き」と何人も代わる代わる言ってくれるので、この子達に美味しいお米や梨を作ろうと思いました。子供たちは本当に純粋で笑顔がかわいいです。

そして、米作りや梨のでき方、食べ物の話をしました。興味津々でしっかり聞いてくれました。
このような、農業体験や食べ物の話を通じて、少しでも農業のことなど興味を持ってもらえたらと思います。
来年も子供たちの笑顔がみたいです。

台風17号の影響で梨が落下の被害が出ました。9月22日夜~23日未明にかけて福岡県は暴風域に入り、かなりの風が吹きました。一夜明け23日朝から梨を拾いましたが、2トンダンプ1台、コンテナ約100杯分出ました。これからの梨の収穫、約3割の量に当たります。加工品にまわしたりしますが、相当な量なので廃棄せざるおえません。台風も自然なので、受け入れるほかありませんし、次の展開を考えて農作業に精を出そうと思います。 たくさんの方から、ご連絡、ご心配の声をいただき、また、お手伝いにも来ていただきました。この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。


カラスの集団の寝床が隣の山にあります。100羽近くいて、朝どこかへ飛んでいき、夕方戻ってきています。うちの梨園には黙ってやってきて梨を突いたり、落としていきます。今年はコンテナ20杯~30杯やられました(台風並みの被害)。鷹のカイトやロケット花火で対抗してしていましたが、その時だけの効果で、さらなる対策に爆音器(民家が近いので小音量)、カラスの泣き叫ぶ声を出すフクロウの置物を設置したら、被害が減りました。まだまだ、端っこは毎日やられます。カラスは梨づくりにとって宿敵です。




今年も幸水梨の収穫を始めました。
37度の炎天下の中の収穫です。太陽の光を浴びて徐々に熟れています。
みずみずしい幸水梨をどうぞ、お召し上がりください。




先日、いつも我が家のお米を給食で食べていただいている太宰府の保育園の園児さんたち60人がサツマイモ植えと田植えに来てくれました。雨の中でしたがしっかり頑張って植えて、帰りには原鶴温泉に入り楽しんで帰って行きました。大きくなって朝倉が好きになってくれるといいなと思いますし、秋には稲刈り、梨狩り、芋堀とまた来てくれます。農業体験や食育などで子供達がしっかり育ってくれるのを楽しみにしたいです。
幸水梨の収穫がはじまりました。今年も天候が異常で、雨は短時間に極端な量が降りますが、それ以外は雨も降らず高温が続く状態が続きました。梨の生育には水が大切なのですが、災害での水路の状況が良くなく、水の管理が大変でした。雨が降らない反面、病気が少なくいいものが多いです。早速、収穫して試しに食べてみました。糖度も申し分なく、瑞々しいものができています。









昨年は豪雨災害により、田へ水が来なくて大変でした。水を運んだり、雨が降るのを祈ったりしたものです。
今年は水が来るようになりました。地域の働きかけにより、国や市が動いていただき、
仮設ですがポンプアップにより水路に水が流れる予定です。本当に水のありがたさがわかりますし、
何より今年も田で米が育てられるのが嬉しいです。
その前に水利組合にて水路の土砂撤去をおこないました。

埋まっている部分が大変でした。機械も何も入らないので手作業です。

きれいになりました。

水路約1kmの長さで、2トンダンプ、のべ150台の土砂を撤去しました。

田んぼに流れてきた大きな材木や梁を片付けました。

試験で川からポンプアップにて水を水路へ流します。水量は少なかったですが、水が来るだけでも
ありがたいです。

これで稲の作付に向けての準備ができました。来週は種籾を苗箱に播く予定です。
今年も梨の花が満開です。
梨はバラ科ですので、同じ仲間の桜の花とよく似ています。

また、梨の花はきれいですが、全部咲かせるといい梨ができないのです。
蕾で間引いて、なるべく最小限にて花を咲かせるのがいいのです。
なぜかというと、花を開花させるにはとても沢山のエネルギーを必要とします。
このエネルギーを花を減らして消費しないようにするのです。

またこの時期は遅霜にも気をつけなければなりません。雌しべが霜でやられると
梨が結実しません。
2年前は低温や霜で収穫量が3分の2になりました。この時期で恐ろしいのは霜なのです。

昨日は外温がマイナスになりそうだったので、夜中、梨畑でずっと温度計と草や梨の葉っぱを
観察をしていました。午前3時過ぎにはマイナス2度になり、草に霜が降り始めたので霜対策を
してきました。少し寝不足気味です・・・。




1月後半、2月は消費者の方々とイベントや農園のことを書いていただいたマガジンが発行され、交流ができる機会がありました。
私たちは畑ばっかりに行っており、なかなか食べていただく消費者の皆様との交流の機会が少なく、このようなイベントなどは楽しみであり、私たちのことや想いを伝える大切な場と感じております。このような機会を今後増やしていきたいと思います。

1月後半に「ふくおか食べる通信2号」にて特集され、日迎梨と一緒にお送りしました。
林農園の成り立ち・歴史。また、私の父の努力や歩んできた道、そして引き継いだ私のことや想いを書いていただきました。
500人近くの方に伝えていただいたことに感謝と、購読者の皆様からの感想やご意見に、梨作りのやりがいや喜びを感じました。

「ふくおか食べる通信2号」表紙

2月1日、2日で「ふくおか食べる通信」さん主催で名古屋と東京で座談会(トークイベント)・交流会を開いていただきました。皆様の率直な質問に、こちらも考える場面もありましたがたくさんの気づきをいただきました。楽しい時間であっという間に過ぎました。

名古屋イベント

東京イベント

東京イベント交流会

2月18日には梨を納めています「産直クラブ」の生産者の会で感謝祭を開きました。
梨と加工品を販売、交流をしてきました。イベントの中で梨の皮むき大会があり、1分間でどのくらい長く剥けるかというルールで、予選・決勝とありました。優勝された方は1.5mもの長さになりました。皆様とたくさんの交流ができました。

本日は雪の降る中、地元青年有志にて地域の柿剪定をしてきました。
ここ朝倉市杷木は果樹の生産地帯で、特に柿の生産が盛んです。
しかし高齢化などにより年々生産者も減ってきているのも現状です。
高齢やなかなか剪定をできない方々など、地元青年有志にて
お手伝いをしております。今日は10人のメンバーにて約4反の柿畑を剪定してきました。
1月27日、28日に開催されました。九州山口有機農業の祭典に運営側としてまた、いち農家として勉強するために参加しました。小さくて強い農業というテーマで講演がありました。勉強会でも農業の技術や地域や消費者とのつながり、農産物の売り方など様々な内容で勉強になりました。特に久松氏のお話は自分の農業の概念を越え、ぬるい気持ちを引き締められました。
今週はじめ、奈良と和歌山に視察旅行に家族を伴い行ってきました。
奈良は富有柿のふるさとであり、奈良県南部は日本屈指の柿の産地であり、全国で2位の生産量です。
また和歌山県も平地が少なく海が近いので、斜面での果樹栽培が盛んで
北部で柿・ミカン。南部でミカン・梅が栽培されています。
和歌山県は柿生産全国1位、ミカン1位、梅1位の果樹生産でも先進地域です。
ちなみに福岡県は柿の生産量全国3位、梨の生産量全国8位です。

今回の目的は奈良では柿の加工品。剪定の仕立て方の視察。生産・加工品・カフェまで手がけている農家さんの視察。
和歌山ではミカン・梅の加工品。そして農産物での地域おこし。
また、加工品作りの先進的な農家さんに話を聞くことでした。



奈良県の五条、和歌山県の九度山は紀ノ川の周りに少しの平野、そして山。
柿畑が山の上まであり、杷木やうきはの地形や風景と似ていました。
写真は柿の剪定です。かなりの強剪定でした。



途中道の駅などで、販売されている農産物や加工品をチェックしながら移動しました。
写真は九度山の道の駅です。柿の生産地だけあり柿の加工品が多く見受けられました。



和歌山県のミカン農家で生産から加工までまた、販売や地域とのむずびつき、農業の後継者や新規の方々を
育成する仕組みのある農家さんに行ってきました。作業場や加工品を見せていただきお話を聞きました。
規模も大きいく法人化されており加工・作業施設も新しく清潔感があり、大変参考になりました。
写真はその農家さんの加工品のライナップです。多いです。


今回のたびは果樹農家と加工品、カフェ、農家レストラン、農家民泊施設、道の駅など計12ヶ所を中心に見てきました。
収穫の多い旅となりました。今後この視察を活かしていきたいと思います。


あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

今日で「平成29年九州北部豪雨災害」より半年が過ぎました。
振り返れば、災害より片付け、8月に入り収穫・出荷が始まり、時間があっという間に過ぎました。
農作業や収穫に追われ、地域の復旧作業になかなか参加できなかったことが多く、比較的時間が取れる
冬場で何か出来ればと考えております。


私たちの住んでいる東林田地区です。仮設の堤防ができ整地がされております。一見整って見えますが
川は以前と違うところを流れており、宅地より高いところを流れています。
整地されたところは、土砂により2m以上高くなっています。現在、川の流れをどうするかなど話し合いが続いています。


仮設の砂防ダムです。治山工事が終わるまで約10年、ここで上流から流れ出る土砂を食い止めるものです。
ここ赤谷川は国の直轄工事で復旧が早いのですが、担当が県や市になると手付かずのところがまだまだたくさんあります。



私が被災したアパートの上流部分です。ここは市の管轄ですが、まだ手付かずのままです。人の多いところから復旧
するのはわかりますが、復旧の格差が激しいです。

このように、まだまだ始まったばかりで完全復旧まではあと10年はかかるとの説明がありました。
私は農業を切り口に復興をに力を入れたいと思います。


昨年、復興の手助けをしたいと、ふくおか食べる通信さんからお声がけをいただきました。編集長の梶原さんは地元杷木出身。
今回の豪雨災害の復興への足がかりとして、また農家と消費者をつなげたいという想いで、ふくおか食べる通信を発行されました。
創刊号は杷木の柿、秋吉さんを、2号で私たちの梨を取り上げていただいております。

写真は創刊号です。ふくおか食べる通信2号で掲載されます。林農園の成り立ち・歴史。
また、私の父の努力や歩んできた道、そして引き継いだ私のことや想いを書いていただいております。
食材つきのマガジンですのでマガジンと「日迎梨」のセットです。


ふくおか食べる通信HP http://fukuokataberu.com/

申し込みは迫っておりますが1月7日までとなっております。
七月の九州北部豪雨の際は、ご心配のお気持ちや、あたたかいご支援をいただきまして誠にありがとうございました。
あの豪雨の日から、もうすぐ半年が経ちます。私たちは豪雨から二週間近くたって、やっと土砂の入り込んだ家に入りました。部屋の中はまだ十センチほど水が溜まった状態でした。まだまだ梨畑の作業が終盤で忙しい時期でしたので、二日間ほど親族にお手伝いしていただき、家の中の物をほとんど運び出しました。その後また、収穫前に一日かけて、隣の「うきは市」に決まりました「みなし仮設住宅」に、とりあえず荷物を運び込むのみ出来ました。収穫・出荷作業が始まりまして、そのまま十月末まで実家の御座敷の御前で過させてもらい、十一月からやっとみなし仮設住宅へ移りました。現在もまだ、少しずつ洗い物をして片付けている状態です。
泥水に浸かって廃棄しなければならなくなった物・大切な思い出の品々がたくさんありましたが、私たちは命が助かり、仕事場である畑も大きな被害を受けませんでした。甚大な被害の出た災害の中、「本当に大切なもの」を失わずにすんでおります。
現在、朝倉市の状況は、いまだ二名の方が行方不明で、まだ土砂に埋もれた家屋もたくさんございます。河川は応急処置的な仮設砂防ダムが完成した箇所もありますが、石を入れた大きな袋を積み重ねた仮設堤防が多く見られます。数年では安心して過せる状態にならないようです。

今回初めて甚大な災害を実際に経験し、身にしみた感情がたくさんございます。自分の身に起こらなければ、本当の気持ちというものは解からないものだとつくづく感じました。何よりも感じたことは、遠くからお電話やお手紙でご心配いただきますことが、どれだけ心励まされることか。そのお言葉だけでたいへんありがたい気持ちでいっぱいでした。

この被災地へ思いを馳せていただきましたお気持ちを原動力に、生き残った畑でこれからも美味しい果実が実ってくれますよう、日々の作業がゆくゆくは地域の復興につながりますよう、想いを込めながら農業の道を歩んでまいります。

10月は心配していました稲刈りや梨の収穫(新高・日迎・新興)、イベントまた、復興に向けて地区での話し合いなどがありました。
災害から収穫と続き、やっと引越しもできそうです。

稲刈りは水がこなかったので収量がどのくらい取れるか不安でしたが、例年の60パーセントの収量がありました。
稲の生命力が強いのもありますが、水を努力して運んだ結果だと思います。新米は11月よりお送りいたします。


稲刈りの後、奥に土砂除去の重機が見えます


仮設の堤防ができ、川を掘って元の高さに戻りました。堆積した土砂が多いのがわかります

山の土砂崩れがあちこちにあり雨が降るたび、ここから土砂が流れ込みます。治山工事と土砂搬出、
土砂を受け止める砂防ダム工事が始まります。この工事だけでも5~10年かかるとのことです。


今年一番大きな新高梨です。1641g、普通サイズは700g程度です。

11月は新興梨の収穫、富有柿之収穫、そして実をつけてくれた木々にお礼の肥料を撒布する予定です。
豪雨災害より3ヶ月が過ぎました。
少しづつですが、復旧に向けて一歩、一歩進んでおります。

梨畑のある松末地区は甚大な被害があり、一部地域では最近になりやっと仮設の道路、電気の復旧が始まりました。集団移転の話や、どう復興するかこれから住民全員で話さなくてはいけません。
この松末地区コミュニティーが4年前から栽培されている、蕎麦の花が満開です。大部分は流されたのですが、私の梨畑の隣に残された蕎麦畑が白く可憐に咲いています。松末地区はこの蕎麦を復興のシンボルとしていますので、私も蕎麦の花を見て頑張ろうという気持ちになりました。

心配していました稲も穂がたれ、いよいよ収穫となります。量はどのくらいになるか分かりませんが収穫できることがとても嬉しいです。


松末地区のシンボル「蕎麦の花」


こうべをたれる稲穂 10月10日に収穫を予定しております。


私たちの地区の状況です。やっと仮設堤防や道路ができました。